三原やっさダコ、とは
やっさダコ、とは中国地方を代表する夏祭りである「三原やっさ祭り」にちなんで名付けられた、三原で獲れるタコのブランド名です。
「三原やっさダコ」という名称は2014年にブランド化されたものですが、それ以前から、県内有数の多島美を誇る三原の海はマダコの産地として大変有名で、江戸時代からタコ漁が盛んでした。
三原で獲れるタコの種類としてはマダコが多く、岩場や砂底に隠れる習性があります。また低水温に弱く、きれいな海にしか生息できない生き物です。
島々が連なる三原近海は潮の流れが早くなっています。また、水温も安定し、適度に岩場が存在するので、マダコにとっても住みやすい海域だったのでしょう。三原の海で獲れるタコはその早い潮の流れに流されないよう、岩場に張り付き踏ん張るため足が太く、食べればぷりぷりとした歯ごたえを堪能できます。
「三原やっさダコ」という名称は2014年にブランド化されたものですが、それ以前から、県内有数の多島美を誇る三原の海はマダコの産地として大変有名で、江戸時代からタコ漁が盛んでした。
三原で獲れるタコの種類としてはマダコが多く、岩場や砂底に隠れる習性があります。また低水温に弱く、きれいな海にしか生息できない生き物です。
島々が連なる三原近海は潮の流れが早くなっています。また、水温も安定し、適度に岩場が存在するので、マダコにとっても住みやすい海域だったのでしょう。三原の海で獲れるタコはその早い潮の流れに流されないよう、岩場に張り付き踏ん張るため足が太く、食べればぷりぷりとした歯ごたえを堪能できます。
三原の伝統漁法、蛸壺漁は、その名の通り「蛸壺」を使って漁を行います。岩場の隅や砂底などに隠れるタコの習性を利用することにより、タコに傷がつきにくく獲りすぎない漁法とされています。
そのやり方は江戸時代から伝統的に世襲制で受け継がれており、当時は「ニシ」という大きな貝を蛸壺として使っていたそうです。その後、陶器でできた蛸壺を使うようになり、昭和31年~40年頃の古い写真には壺同士が当たって割れないよう縦横に縄を付けている様子がうかがえます。現在は陶器製ではなく、殆んどプラスチック製の蛸壺を使っています。
蛸壺漁では、1本約1000mの仕掛けに約100個もの蛸壺を10m間隔で付け、5~10本ほど海に沈めます。沈める場所は漁家ごとに代々決まっており、ブイなどの目印はありません。島や山を目印に、熟練の漁師の勘と経験で仕掛けを探し当てる「山立て」という方法で引き上げるそうです。
そのやり方は江戸時代から伝統的に世襲制で受け継がれており、当時は「ニシ」という大きな貝を蛸壺として使っていたそうです。その後、陶器でできた蛸壺を使うようになり、昭和31年~40年頃の古い写真には壺同士が当たって割れないよう縦横に縄を付けている様子がうかがえます。現在は陶器製ではなく、殆んどプラスチック製の蛸壺を使っています。
蛸壺漁では、1本約1000mの仕掛けに約100個もの蛸壺を10m間隔で付け、5~10本ほど海に沈めます。沈める場所は漁家ごとに代々決まっており、ブイなどの目印はありません。島や山を目印に、熟練の漁師の勘と経験で仕掛けを探し当てる「山立て」という方法で引き上げるそうです。
禁漁は毎年3月とタコの産卵期である9、10月。タコを大切にする三原の漁師たちは禁漁を設けることにより獲りすぎを防ぎ、また、タコが住みやすいよう蛸壺や自然岩を海中に投入し、さらに環境が良くなるよう精力的に活動されています。
そんなタコと伝統的な蛸壺漁を今なお大切に受け継ぐ三原の漁師たちは、毎年8月8日を「タコの日」と定め、タコ供養なども行われています。三原市東町にある曹洞宗松寿寺で、タコの好物であるサツマイモを供え、タコ漁師やタコに携わる関係者の皆さんが参列し、その恩恵に感謝する日だそうです。
そんなタコと伝統的な蛸壺漁を今なお大切に受け継ぐ三原の漁師たちは、毎年8月8日を「タコの日」と定め、タコ供養なども行われています。三原市東町にある曹洞宗松寿寺で、タコの好物であるサツマイモを供え、タコ漁師やタコに携わる関係者の皆さんが参列し、その恩恵に感謝する日だそうです。
独自のタコ文化が息づく三原市で獲れる「三原やっさダコ」は、ぷりぷりとした歯ごたえと旨味はもちろん、茹でるととても柔らかいことも特徴です。新鮮なタコだからこそ可能な「タコしゃぶ」は、その食感を存分に堪能できますので大変おすすめです。三原めしとして有名な「タコめし」なども三原やっさダコの風味をしっかり感じることができるでしょう。
綺麗な姿のおいしいタコは三原市の自慢です。旅の思い出に、大切な方とのお食事に、どうぞご賞味ください。
綺麗な姿のおいしいタコは三原市の自慢です。旅の思い出に、大切な方とのお食事に、どうぞご賞味ください。
ギャラリー
白黒写真は、旭町のタコ漁 昭和31〜40年頃